いらすとや
脊椎動物の解剖をするとき、筋肉を切らずに筋膜だけをスッスッスッと分けていくと何だか”正解”したような心持ちになります。また、脊椎をバラす時も、骨に刃を当てずに靭帯などの結合組織の部分だけをサクサク切れると、これもまた”正解”したような気分になります。
思考を整理するときもこの感覚を大事にしたいと考えています。つまり、変なところで力づくで概念を分割してしまうのではなく、筋/骨の分かれ目のように無理なく分割(disarticulate)できるような部分を見つけられると、”正解”したような気分になります。あるいは、石目を読むと表現してもいいかもしれません。
先日、こんな感じでベイトソンの学習の階層性を自分なりに”解剖”してみたので、テキストとして残しておきたいと思います。
学習1:
何かを体得。
学習2:
学習プロセスを体得。学習1と同様の学習プロセスでいろんなことを学ぶ。
学習3:
学習プロセスの創出を体得。学習2で体得したような学習プロセスをいろいろ作れるようになる。
学習4:
学習プロセス創出の方法論を体得。学習3で体得したような学習プロセス創出をいろんな方法でできるようになる。
(余談)
ベイトソン曰く学習4を行う生物は非現実的らしいけど、ヒトの大人ではそろそろやれそうな気もする。
学習3が精神的メタモルフォーゼ(新たな価値観の獲得で違う学習プロセスに遷移する)であるならば、下記のように結構いろんな人が非同型的な学習3をやってそう。これの共通性をまとめ上げれば学習4を達成できそう。
学習3の例:
エクストリーム成人式(eg蔓バンジーなどの擬死体験)、宗教的経験/改宗、精神面のロールモデルを探す、異なる文化圏に飛び込む、強力な権力と暴力を持つ(eg子供や従業員を持つ)、闇堕ち、などなど
超適応は学習3的な運動学習プロセスと呼べそう。ということで、身体性(電気/薬理/外科/装具)や環境(身体数/周囲の物理量)を上手いことを変更すれば(学習3の創出=)学習4は達成できそうな気もする。(思考実験なので倫理面はお見逃しを)
(参考文献)
ベイトソン (佐藤 訳), 2006, 精神と自然
ギンズバーグ&ヤブロンカ(鈴木 訳), 2021,動物意識の誕生
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