生物学における「機能/function(する・がある)」という用語の扱いは日々難しいと感じます。最近少し考えがまとまったので、そのことをテキストで纏めておきたいと思います。
1. 難しさの根源
「機能/function(する・がある)」という用語には以下の3つのニュアンスが混在してるように思います。これがこの用語の難しさの根源なのではないかと思い至りました。
A. 目的論的なニュアンス(「~の為の役割(を担う)」という意味合い)
例: 心臓はポンプとして___する。
B. 機械論的なニュアンス(「関数(として振舞う)」 という意味合い )
例: ディスプレイ/断熱材として獲得された羽根は、空力装置として___した。
C. 中間的な(?)ニュアンス(「能力(を持つ)」 という意味合い )
例: 認知___の低下。
(もっと排他的になる例文があるような気がするので、随時アイディア募集中です)
2. 「機能/function」はどのように認識されるものなのか
2.1. 形質に付帯してる? vs その都度ごとに生成されてる?
「機能/funtion」は形質に備わっているものなのでしょうか?それとも形質が場面場面でその都度ごとに生成しているものなのでしょうか?
今まで何とはなしに、以下の**の部分に「機能/function」を当てはまられると考えていました。
生物の形質 + 相互作用の相手 (e.g., 環境, 同一個体内の他の形質)
→ 生物学的な**の生成・発動・発揮
文章的には上記に「機能/function」を当てはめても不自然な印象は受けませんが、上記A-Cのニュアンスに基づいて考えるとちょっとおかしいような気もします。なぜなら、上記A-Cに基づくと「形質に付帯する性質」と解釈した方がシックリくるからです。「役割・関数・能力」という用語は本来的には「備わっている性質」という意味ですが、私たちはそれの顕現・発揮にも同じ言葉を用いてしまっています。混乱はこの混同に起因してるように思いました。「潜在的に備わっている性質」と「実際にそれが発揮された現象」を区別できたらこの問題は解決するように思います。
2.2. 決定論 vs 確率論
「潜在的に備わっている性質」と「実際にそれが発揮された現象」の区別は、生物に対する決定論と確率論の区別に関わってくるように思います。
潜在的に備わっている性質 :(いつかは)決定論的/演繹的に記述できる
実際にそれが発揮された現象:発揮されるかどうかは確率論的
2.3. 有/無 vs 相対的
「機能/function」は有無(all or nothing)で表現されるものでしょうか?それとも相対的なものとして表現されるものでしょうか?
なにか生物の形質ひとつに着目して機能を論じるならば、相対的に論じる/評価するのが建設的なように思います。
(e.g., より顕著な○○ができる, より頻繁に〇〇する, 〇〇を発揮していた蓋然性が高い)
つまり、例えば機能形態なら「形態Mを持つ生物は機能Fをもっている」と結論するのではなくて「形態Mをもつ生物は、それを持たない生物よりも○○を発揮してた蓋然性/頻度が高い」というふうに論じるのが良さそうです。比較対象に既知の現生種をもってくればその推論の信憑性を評価できますし、祖先種をもってくれば進化の話にできます。検証可能になるので原著論文っぽいストーリーになります。
ここまでの考察は特に専門書を参照していません。もうちょっと自分で考えたら科哲を覘いてみます。もしくは初心者向けのテキストがあったら教えてください~m(_ _)m
(追記)
この投稿の要諦は、大林侑平さんのご発表と殆ど同じだと教えていただきました(クレームが入ったとかではありません)。氏の今後のご出版に乞うご期待!
大林侑平(名古屋大学、日本学術振興会特別研究員)
「生物学的機能の歴史性:19世紀の目的論的自然哲学を参照して」 第14回生物学基礎論研究会, 2021.08.26
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