top of page
検索
執筆者の写真史朗 江川

思考整理:「形態が行動の原因になっている」とはどのような状況なのか?

更新日:2022年5月15日

[目的]

  「形態が行動の原因になっている」とはどのような状況なのか。このことについて思考を整理したい。


[前提]

  簡単の為に、行動が発露する以前に形態形成が完了しているとする(形態の可塑性は議論に組み入れない)。また、行動を環境と独立して考察できるものに限定する。若しくは、特定の環境を所与とする。本投稿では形態に着目しているため、神経制御については「拘束は無い」「必ず最適化してくれるだろう」とかなり都合のいい想定をしている。


[本論]

  おそらく、「とある形態を行動の原因と捉えることができる」という状況は以下の3つに集約されるだろう。この3つについて、思考法・それぞれの関係性を整理したい。


①個体発生(経時的)

  形態形成を終了して孵化した場合、おそらく個体は、所与の形態を基盤として行動を生成する。ヒトの子供が動き回ったり声を出してみたりして、自らの身体にとって可能な運動を模索しているような状況をイメージしている。もしくは、遺伝的アルゴリズムなどで絶滅動物の歩容を復元するような作業をイメージしている。とある諸形態が行動の必要/十分条件(の一部)となっていれば、その形態を行動の原因(の一部)と表現することに差し支えはないだろう。ちなみに、そこには祖先形質/派生的形質の区別は無い。


②比較形態・行動(共時的)

  祖先状態の動物と派生的状態の動物を対置し、両者の個体発生中で行動が生成されてゆくプロセスを比較し、その差分から派生的行動の有無の理由となっている形態を発見する。これは①の部分集合になる。つまりこれは、個体発生中で行動獲得の原因となっている諸形態の中から、派生的形質を選別してくる作業である。即ち、「系統発生の観点からも行動獲得の原因であったと言えるだろう形態をピックアップする」という作業である。

③系統発生(経時的)

  「祖先が中間段階的な形態や行動を獲得して、漸進的に派生的な形態や行動が獲得される」というシナリオが一般的かつリーズナブルだろう。初めにキッカケとなった行動や形態は、派生的なそれとは似ても似つかないものである可能性もあるが(外適応を何度も繰り返すような場合)、簡単の為に割愛する。漸進的進化においては厳密なことを言えば、例えば「ある小集団では行動が先に獲得され、ある小集団では形態が先に獲得され、後に両集団が交配して融合した(ここでは両小集団の行動と形態は”同じ”と見做す)」という状況も多分に蓋然的であり、即ち、(大)集団内で多起源的にホモログが生じている可能性も多分にある(*)。これらのような系統発生シナリオ下では、行動と形態は相互参照的に循環している為、無理に直線的な因果律に嵌め込まずに表現の解像度を落として、互いが互いの原因であると表現するのが健全だろう。つまり、重要なのは形態と行動の間に成立した因果的体系の様態であり、直線的な因果律に嵌め込んでどちらかを原因と表現するのは、科学的には不健全なように思う。更に言うと、形態-行動の体系には興味の対象としていた以外の形態と行動も須らく組み込まれており、故に系統発生に視点を移すと、個体発生中には因果関係の無かった形態どうしの間に行動を介した因果関係が生じ始める(**)。この全体論的な形態-行動体系

(***)そのものも、何かが少し進化しては体系全体が整合的になるまで進化が進み、また何かが少し進化すれば体系全体が整合的になるまで進化が進み....と、系統発生を通じて常にマイナーチェンジを繰り返してきた筈である。即ち、重要なのは、形態-行動体系の進化的変遷の復元であると主張したい。論旨がズレてきてしまったが、このような進化観に依拠した上で「派生的行動を獲得する原因となった形態(新規形質)は何か?」と問うならば、行動獲得の最初期(もしくはそこから派生的行動が完成するまでの間)で形態-行動体系のマイナーチェンジを要求した/マイナーチェンジの帰結として獲得された新規諸形質がその答えとして妥当だろう。

  このような漸進進化的シナリオの場合には、②で発見された「現生動物における行動の原因としての形態」は、系統発生の中でかなり後期に獲得されている場合もあるだろう。場合によっては、派生的な行動に追随して進化してきたかもしれない。例えば、派生的な行動を効率化するような形態進化がそれである。また、派生的な行動獲得後にそれを阻害しがちな別の行動が獲得されたような場合には、両者のコンフリクトを解消するような形態進化が起こるだろう。即ち、祖先の表現型(形質のセット)は子孫のそれとは往々にして異なっている場合があり、故に祖先と子孫の形態-行動体系は必ずしも一致しない。このようなシナリオを想定すると、②の結論(現生動物の個体発生過程において派生的行動獲得の原因となっている派生的諸形質)は③の結論(系統発生初期において派生的行動を獲得する原因となった新規諸形質)と乖離する。


(*)

ちなみに、このあたりにLankester的ホモログ観の限界があると思う。『種の起源』を読むと、ダーウィンもこんな感じのホモログの多起源的状況を想定している。近年はChIN等、ホモログをモジュラーなユニットとして還元主義的に捉える動きもあり、本人たちが言うように後続の研究をインスパイアする能力においては優れていると思うのだが、実際にはホモログとは(例えば日本画で描かれる遠景のように)経時的にも共時的にも輪郭のハッキリしないのが実情なのではないかと思う。もちろん、このあたりはホモロジーをcharacterのみならずcharacter stateにも適用するかどうかにも依存してくるだろう。ちなみに、個人的には両者に違いはないと思う(cf. Tarasov, 2020)。


(**)

「こういう発生をするならばこういう形態が形成される」「こういう形態ならばこういう機能が発揮される」というような表現においては、前者(発生/形態)は後者(形態/機能)の機械論的な十分条件になっている。一方、「こういう行動を成立させる為には、ある部分がこういう形態ならば他のある部分はこういう形態でなければならない」という表現においては、前者は後者の十分条件でありながら、それは機械論的な因果関係ではないような印象を受ける。寧ろ目的論的にさえ見える。しかしながら、進化過程をつぶさに想像すれば次のような因果関係が見えてくる筈だ; とある行動bに正の選択圧がかかっている; とある部分m1がとある形態を獲得した, 形態要素m1は行動bに関与している; その結果として(行動bを維持できるよう)他のある部分m2がこう進化した。

  このように、進化(系統発生)の過程をしっかりと想定すれば、形態どうしの間に(目的論ではなく)機械論的な因果関係が想定可能になる。ちなみに、上記では十分条件のみを議論したが、もし逆・裏が成り立っているのであれば、前者は必要条件になっている。


(***)

構造主義的な意味合いで「構造」と表現しようと思ったが、私がここで想定していた諸形態-諸行動の関係性は構成要素間が(機械論的)因果関係で連結されているし、それ故構成要素が布置変換的なことを起こそうものなら全体が変わってしまうので、体系(システム)と呼称した。個人的になんとはなしに、神話構造を例にとってみたりすると「構造」という表現には構成要素間の因果的繋がりは不問としている印象がある。ただ、近年は親族の基本構造を”導出”するような因果プロセスの研究もあるので(Ito and Kaneko, 2020)、本来的には構成要素間に因果的繋がりが見えてきて然るべきになるのかもしれない。思えば、構造主義の源流の一つとなった形態学、特に(今日我々が呼ぶところの)ボディプランという思想について、形態学の始祖であるゲーテは構成要素間の絶え間ない因果的相互作用を想定していた。



[結論]

  • 行動についても、発生システム浮動や変形発生に相当する現象は起き得る。

  • 表現型可塑性の介在しない個体発生を考える際には、「形態→行動」の因果のみを想定可能である。

  • 系統発生を視野に入れると、「形態→行動」「行動→形態」の両方が想定可能になる。これにより形態-行動の循環的な因果的体系が出現する。機能形態の進化を議論する上では、この形態-行動体系の変遷を復元するのが望ましいだろう。

  • ここで注意されたいのが、「各議論で俎上に上がっている形態-行動関係は、個体発生におけるそれなのか・系統発生におけるそれなのか」を見極めることである。両者を混同してはいけない。一つの形態-行動関係・形態-形態関係は、個体発生上での因果関係(行動生成・形態形成)でもあり得るし、系統発生上での因果関係でもあり得るし、両者が同時に成立している場合もあり得る。


[参考文献]

Comments


bottom of page